THE HISTORY OF BUNGA

文雅の歴史

半世紀もの歴史を経て、磨かれ、洗練され
いまなお進化しつづける「文雅流」

フランス料理に憧れ上京した創業者

昭和19年、終戦間近に⽣まれた創業者⽥島。
高度経済成⻑真っ只中の昭和33年、⽗親が佐賀市⽩⼭に洋⾷店「グリル⽂雅」を開店。⽥島もフライパン⼀代という⼀冊の本に出会い料理⼈を強く志すようになり上京。「ホテルニューオータニ東京」など⼀流レストランで修⾏を重ね、⾚坂の「メゾン・ド・シド」では現在のシャトー⽂雅に⽋かすことのできないビーフカレーと出会いました。

帰郷し、実家の洋⾷店を再興

ニュー文雅
25歳で帰郷、「ニュー⽂雅」をオープン

昭和44年、念願のフランス留学が⾒えてきた頃、⽗からグリル⽂雅の再興を請われるようになりました。⽥島は涙をのんで帰郷を決意、佐賀に戻るとすぐに再興に着⼿し、店名も「⽩⼭⽂雅」として同年リニューアルオープン。
⼀⽅で同年、佐賀市天神に「ニュー⽂雅」も開店。⼩さな洋⾷店でしたが、⽥島が上京し学んだ洋⾷・フランス料理の様式を取り⼊れ、⾃⾝のこだわりを表現した最初のお店となりました。

「シャトー⽂雅」開店

シャトー文雅開店
32歳の秋に、念願の本格フレンチレストラン「シャトー⽂雅」として移転オープン

昭和51年、⽗から受け継いだ「⽩⼭⽂雅」の経営を姉夫婦に譲渡し、「ニュー⽂雅」を「シャトー⽂雅」とし佐賀市南部バイパス沿いに移転オープン。
かつて働いた東京の⼀流レストランにも引けを取らない本格的なフレンチレストランを⽬指し、内装にもとことんこだわりました。

経営危機を救った「ビーフカレー」

シャトー文雅店内
昭和52年に、今もシャトー⽂雅で愛される
「ビーフカレー」は誕⽣しました

オープンして半年経っても売り上げが伸びずに苦労する⽇々。「何か新しいものを」と悩む⽥島が閃いたのは、東京⾚坂のレストラン「メゾン・ド・シド」で覚えたカレーでした。これをヒントに⼤⼈が喜ぶごちそうカレーをコンセプトにしたビーフカレーを開発。これがクチコミで話題となり爆発的ヒットメニューに。
こうしてシャトー⽂雅は⾏列のできるレストランとなり、スタッフも⼤幅に増えました。

シャトー文雅スタッフ

シャトー文雅のビーフカレー

⽇本初の「ゴマドレッシング」誕⽣秘話

シャトー文雅のゴマドレッシング
天候不良でレタスなどサラダ野菜が⾼騰する中で
⽣まれたのが、「ゴマドレッシング」

ある年の夏、天候不良でレタス価格が急騰、フランス料理に⽋かせないサラダが提供できない事態に。「代わりに何かできないか」「トマトならある、トマトに合うドレッシングを」と試⾏錯誤の末、スライストマトにオリジナルのゴマドレッシングをかけて出したところ、⼤評判に。
当時の家庭では⽣野菜につけるのはマヨネーズしかなく、「どこにも売っていない」「分けて欲しい」とお客さまの声に押されて商品化。
するとすぐに百貨店のお中元やお歳暮に採⽤、テレビ取材も⼊り、東京のデパートでも販売するなど、⼤注⽬を浴びました。現在も全国の顧客へネットや店頭にて販売中です。

憧れのシャトーホテルを⽬指して現在地に移転オープン

佐賀大和インター近くへの移転
平成3年に現在地に移転オープンした
シャトー⽂雅

県外からの来客が増えるにつれ、場所が分かりにくい、⾏きにくいという声が増加。
新たな場所として、⽥島⽒が描いていたのはフランスの⽚⽥舎にあるシャトーホテル。「わざわざ遠回りしても、⼤切な⼈と語らい、素敵な時間を過ごしてもらいたい」。都会の喧噪を離れ、⼼安らぐ景観と特別なお料理を味わえるレストランを場所選びからこだわりました。
そして佐賀⼤和インター近く、秘境川上峡の川下で豊かな⽥園⾵景が広がる今の場所に出会い、移転を決めました。

シャトー文雅の店内

シャトー文雅のスタッフ

特別な空間とお料理でもてなすレストランウエディング開始

レストランウェディング開始
平成10年に宴会場「クイーンズガーデン」完成
平成15年「セントマリアンヌ教会」も創設

「レストランは⾷事を楽しむだけではない、⾮⽇常を楽しむ空間に」が⼝癖だった⽥島。椅⼦や照明や家具をヨーロッパへ直接買いに⾏くなど、内装細部にもこだわりシャトー⽂雅を完成させました。
翌年、隣にキャフェテラスTARTEを開店すると、ファミリー客を中⼼に1⽇500名も来客する⼈気店に。その後レストランウエディングの増加に伴い、このTARTEを宴会場に改装し、ブライダル事業を開始しました。

宴会場とチャペル

宴会場とチャペル

洋食鉄板「いろはにほへと」
平成20年に洋⾷鉄板「いろはにほへと」開店

⼀夜の⽕事で全てを失ったものの、お客さまの励ましで復活を遂げる

シャトー文雅リニューアルオープン
⽕事から丸⼀年後、平成27年10⽉1⽇に
リニューアルオープンを果たしました

平成26年10⽉未明、⽕災発⽣。電気系統から発⽕し建物は全焼。シャトー⽂雅は⼀夜のうちに消失。途⽅に暮れる中、お⾒舞いや励ましのお便りが次々に届きました。
「⽂雅は佐賀の宝やから。早く復活されることを願ってます」、「⽂雅がないと困る」と温かい電話や⼿紙などが多数寄せられ、それらは今でも社員の⼒の源になっています。
⽕事から1ヶ⽉後、唯⼀延焼をまぬがれた隣に⽴つ宴会場にて営業再開。その後再建したのが現在のシャトー⽂雅です。当初からあるシンボルで中央の螺旋階段も復元しました。

リニューアル後の店内

シャトー文雅の螺旋階段

シャトー⽂雅からお客様へ

リニューアル

「⽂雅の美味しいお料理と空間で、⼼から満⾜できるひとときを」

「ナンバーワンではなくオンリーワンを⽬指して」創業者がよく⼝にしていた⾔葉です。⾷事を楽しむために旅に⾏く、そんな旅の⽬的地になれるようなレストランを⽬指しています。
シャトー⽂雅のレストランは⾮⽇常の空間を楽しんでいただくため、あえて螺旋階段を上った2階にあります。そして、ご予約の多くがお誕⽣⽇や結婚記念⽇など、お祝いや特別な⽇のご利⽤です。
お料理はフレンチスタイルですが、あくまでも⽇本⼈の⼝に合うように⼯夫しています。佐賀はお⾁はもちろんの事、野菜もとても美味しいので、出来るだけ旬の⾷材を使うよう⼼掛けています。アスパラガス、たまねぎ、レンコン、光樹トマトなどは美味しい時期は必ずメニューに取り⼊れています。また、⿂介類は⽞界灘産の活きの良いものを求めて週に数回、福岡の市場へ⾞を⾛らせています。
料理を提供する際は、特にタイミングに気を配り、熱々の出来たてを召し上がっていただけるように気を配っています。「シャトー⽂雅でなければこの料理とサーヴィスは味わえない!」と⾔っていただけるよう⼼を込めておもてなし致します。ご来店を⼼よりお待ち申し上げております。

代表取締役社⻑ 室屋昭⼆
取締役総料理⻑ ⼭⼝育⽣

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